日光 仙台 山形 2
2013/08/11-18
仙台
日光 仙台 山形 のつづき
仙台へ
予定では8月16日が仕事、前日の15日に仕事仲間を空港で迎える手はずになっていました。
今日が8月14日なので今日中に仙台入りするのが吉。
義経腰掛松、源義経が奥州平泉に下る途中、ここにあった松の枝に腰掛けたという言い伝え。
阿津賀志山防塁。
奥州藤原氏が源頼朝軍からの防衛のために築かれたという防塁。
阿津賀志山の戦いの戦場となり敗れた藤原氏は滅亡した。
源義経てあんまり好きじゃないから奥州藤原氏関連の事も殆ど知らなかったけど、これは中々に興味深い史跡です。来て良かった。 この先の峠は国見峠と呼ばれるだけあって福島平野を一望できます。
日当たりのいい丘のような地形でたくさんの桃がなっていました。
貝田宿という宿場町があったそうですがすっかり寂れた様子。
そしていよいよ宮城県入り。
国道をそれて白石川沿いを走りました。桜の季節はきれいだろうなぁ。
仙台到着
夕方には仙台市街に到着。そこからテントを張れそうな場所を探して走り回りました。仙台はやはり都会なので良さそうな場所がなかなか見つからなかったけどやっと大丈夫そうな場所を見つけたので、今度は携帯で銭湯を検索。
すっかり暗くなったけど銭湯で汗を流して、さて夕食をどうしようかと思って移動しはじめたところ、銭湯のすぐ近くに昭和から時間の流れが止まったかのような一角があり、そこのホルモン焼きの店に入りました。
閖上
朝、夜明けとともに目覚めテントを撤収。
自転車を押して堤防上にあがるとひとりの男性が声をかけてきた。
どこから来たかとか一通り話した後、やはり先の震災での津波の話をされた。
震災からまだ2年、津波の記憶は恐ろしく、やはりヨソ者の私に話さずにはおけないのだろう。
男性の話をかみ締めつつ、津波被災地でもある貞山運河へ向かった。
ある程度まで河川敷を快適に走れる。
先の男性の話では、仙台市の東側を走る高速道路の土手で津波がはね返され市街地への津波被害を免れたそうだ。
その高速道路をくぐると周りの様子が一変する。
堤防土手の上からみえる津波被害の様子。
堤防の道が途切れたので外の道に出ると地図看板があった。
閖上(ゆりあげ)という地名らしい。
しかしレジャーマップにあるような町の姿はここにはなく、
道路脇の空き地にはかつて家が建っていたであろう基礎が並び、
そしてところどころに花が供えられていた。
雑草の茂る平地に一か所だけ小高くなった場所があったので行ってみた。
小高い丘の上には小さな祠が、以前はここにちゃんとした社があったのだろう。
丘の上からあたりを見回してみた。
かつてここに町があり人々が暮らしていたのだろうか、考えるとなんともいえない思いがこみあげてくる。
少し離れてゴミ捨て場があったので飲みかけのペットボトルを空にしようと水分補給していると、目の前にクルマが1台停まった。
クルマから女性が出てきて家庭ごみを捨てたあと、私に話しかけてきた。
今住んでる場所が非居住地域に指定されたため、近いうちに転居しなければならないそうだ。
こうやって色々な理由でこの地から人が離れていくのだなと思った。
貞山運河
貞山運河は伊達政宗が仙台に移った頃に開削がはじまり以後明治期まで数度にわたり延長工事がなされ、旧北上川河口から阿武隈川河口までを結ぶ総延長 46km という日本一長い運河。
昔何かの本でこの運河を知り一度行ってみたいと思っていた。
現在は運河としての活用はなくなり、河岸はサイクリングロードとして整備されているらしい。
今日、大阪から職人が飛行機でやってくる。
その職人を空港まで迎えに行かなければならなかったのだが、ちょうど空港の近くを貞山運河が通っているのでここを走ることにした。
しかし、地震・津波の影響で河岸が崩壊し、自転車進入禁止の立て看板が立っていた。
今回の旅の楽しみのひとつが失われたようで残念に思った。
日光 仙台 山形 3 へつづく
- 最終更新:2014-07-02 18:30:04