富山 射水線廃線跡

2013/03/31
富山 射水 高岡

1303海王丸.jpg

富山地方鉄道射水線

'''射水線(いみずせん)は、かつて富山県の富山市と新湊市(現射水市)を結んでいた鉄道路線。富山から北の四方に至ったのち、富山湾沿いに新湊へ至っていた。
一部分は加越能鉄道に譲渡されて現在も万葉線として残っているが、大部分は1980年(昭和55年)3月31日限りで廃止された。'''
wikipediaより

 射水線が廃止になったのは私が小学生の頃、当時すでに鉄道好きだったけれど大阪在住の小学生にとって富山のローカル線なんて遠い異国の地の出来事で、今のようにインターネットなどの情報もない時代、廃止された事すら知る由もなかった。
 そんな時代の出来事だけど射水線のことは強く印象に残っている。それは私が近所の書店で生まれて初めて買った専門誌「鉄道模型趣味(TMS)」の399号、そして翌月の400号に射水線の特集が組まれていたからだ。月1000円の小遣いで650円もする専門誌を購入するのだから文字通り貪るように隅々まで読みあさった。そんな子どもの頃の思い出の中に射水線がある。


富山へ

 なぜか富山に縁がある。
いや本当は、なぜかというほどの事はない。ただ私が富山が好きなだけだ。初めて富山を訪れたのは2007年8月の自転車ツーリング、大阪から自走で黒部まで走った。このとき富山の自然の美しさや食べ物の美味しさ魅力的な路面電車などに触れコンパクトシティを目指す富山市の施政も魅力的に感じ、すっかり富山に惹かれてしまった。
 それ以来、縁もゆかりもなかったはずの富山に今回の訪問で通算6回目になる。近隣県でないことを思えばかなりの頻度といえるだろう。今回は仕事がらみだったが仕事で富山方面に来れたのも何かしらの縁を感じた。


廃線跡を走る

 仕事は月曜日だったので前日移動し自転車で走ることにした。
午前7時40分発のサンダーバードに乗ったがこの日の富山の天気予報はあいにく雨、富山駅に到着した11時過ぎには自転車で走るのをためらうほど降っていた。
1303白えび天丼.jpg仕方ないので駅前特選街の「白えび亭」で昼ごはんを食べた。

 今回のテーマは射水線廃線跡を走ること。しかし昼ごはんを食べ終わっても雨はやむ気配がない。仕方がないので射水線の起点であった新富山まで路面電車で移動することにした。
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 新富山までと思ったけれどせっかくだからひと駅先の終点大学前電停まで乗った。
大学前電停.jpg
 さて、大阪を出てすぐ気がついたけど準備しておいた射水線廃線跡の地図を忘れてきてしまった。しかも雨なのでじっくり廃線跡を探す気分でもない。とにかく五福交差点を北上することにした。
少し走ると左手になにやら怪しげな道が、
1303廃線跡か.jpg1303廃線跡か1.jpg
射水線の廃線跡はしばらくバス専用道として活用されてたそうで、おそらくその名残じゃないかと思いつつ進入してみた。
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数年前までここに北陸本線を越える跨線橋があったらしい。写真の高架は建設中の北陸新幹線、この工事のために跨線橋は撤去されたようだ。行き止まりになってたので一旦引き返しすぐ横の踏み切りを渡って反対側へ行くと、撤去された敷地を宅地として切り売りされていた。



1303バス専用道.jpg
 射水線廃線跡のバス専用道が廃止になったのは2012/04/01、今日が2013/03/31なのでちょうど一年前ということか(4月1日廃止というのは3月31日まで営業という意味)。
1303バス専用道1.jpg
錆の浮いたバス専用を示す標識が物悲しい。


1303バス専用道2.jpg 小高い丘を登ると八ヶ山駅(はっかやまえき)跡、
1303八ヶ山バス停跡.jpg1303八ヶ山バス停跡2.jpg
バス停跡の反対側にある階段の上にかつての駅本屋があったそうだ。

 廃止から30年以上もたっているため本当にここを線路が通っていたのかわからない場所が多い。
1303廃線跡ですか.jpg
だんだん空が明るくなり晴れ間も見えてきた。つくづく私は晴れ男だと実感する。

 線路跡の遊歩道を発見、さあ盛り上がってきたぞ!
1303遊歩道発見.jpg1303遊歩道発見1.jpg
廃線跡を利用した自転車歩行車道らしいのだが・・・、


しかし・・・・。




1303なんなんですかこれ.jpg
なんなんだこれは!


 まるで自転車を愚弄するかのようなとても嫌がらせとしか思えないクルマ止めに遮られまともに走ることができない。 この屈辱をこらえつつ前進すると、駅ホーム跡らしき遺構に至る。
1303ホーム跡.jpg1303ホーム跡1.jpg
海老江駅があった場所だという。桜の季節に来るときれいだろう。

 さらにクルマ止めの苦痛に耐えながら先へ進むと新湊大橋が見えてきた。
1303新湊大橋.jpg

 自転車道とは呼べない道が途切れたところに終点の渡船場があった。
1303渡船場.jpg
 射水線は廃止から既に30年以上、わずかに残された往時を偲ぶ遺構も時のうつり変わりとともに薄れていく遠い過去の記憶のようにおぼろげで、人々の心の中からかつてここに鉄道があった事など忘れ去られようとしているようだった。

海王丸パーク 万葉線

 渡船場近くからは、対岸の海王丸が見えた。
1303新湊大橋と海王丸.jpg1303無料渡船.jpg
しばらくして渡船が到着、無料で乗車できるとの事。大阪の渡船よりも大型でちゃんと船室がある。雪国富山で吹きさらしはありえないか。

 射水線廃止の要因のひとつに富山新港開削がある。
かつて射水線はここから更に現在は対岸にある万葉線とつながり高岡市内まで直通運転していたという。1966年、富山新港建設により堀岡駅 - 越ノ潟駅間が分断されてしまい、その間の連絡を県営渡船によって図ったが乗り換えの不便のため乗客は半減、富山市内線乗り入れなどのテコ入れを行ったが乗客減少を止められず1980年廃止となった。


 この県営渡船も新湊大橋の供用開始で廃止の危機にあるらしい。


 鉄道線に乗り入れる路面電車とそれに接続する渡船というここの他にはどこにも無い景色が失われ、日本全国どこにでもあるような町になってしまうのだろうかと思うとそこはかとなく寂しさを感じる。


海王丸パーク

 渡船で向こう岸に渡るとすぐに万葉線越ノ潟駅がある。
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万葉線は富山新港開削で分断された射水線の片割れ、現在は第三セクター運営により廃止を免れている。

 渡船から海王丸パークまでは1kmぐらい、自転車だとあっという間に到着するが、殆どクルマのない交差点での信号待ちにちょっとイラッとくる。

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駐輪場が見当たらないので建物のかげに自転車をとめて海王丸に乗り込んだ。


帆船海王丸とは

海王丸は、商船学校の練習船として、誕生した帆船です。
昭和5年2月14日に進水して以来、
59年余の間に106万海里(地球約50周)を航海し

11,190名もの海の若人を育てました。
海王丸パークでは、この海王丸を現役のままで、公開しています。
(海王丸パークHPより)


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1303海王丸厨房.jpg1303海王丸3.jpg
退役したとはいえ帆船の中に入るのは初めてで、興味深く見学した。

 広間のピアノに「海王丸の歌」の楽譜が、
1303海王丸2.jpg1303海王丸の歌.jpg
何年か前、海王丸II世が台風で座礁事故をおこしたとき、
テレビニュースで救助された乗員へのインタビューで

「みんなで歌を歌って励ましあったよ。」
 …どんな歌ですか?…
「海王丸の歌!」

と話す言葉に海に生きる男の心意気を感じたのを思い出した。


 海王丸を下船して隣接する日本海交流センターの建物の中に入った。
1303日本海交流センター.jpg
建物内には世界の国々が誇る帆船の模型が展示されていた。

 そのなかのひとつの模型の前で立ち止まった。
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帆船「あこがれ」
 大阪市が所有する一般市民が航海を体験できる日本で唯一の帆船。
2011年に大阪市長に就任した橋下徹の命により廃止、近々売却の予定。
 私もかねてより体験航海に参加したいと思っていたが社会人ゆえ日程を確保できず、
その想いがかなわぬまま橋下市長のの悪政によって廃止さてしまった。


万葉線

 越ノ潟駅まで戻って万葉線で高岡まで輪行する事にした。
万葉線は先に書いた射水線の片割れと高岡市内の路面電車を合わせた路線。
廃止の危機にあったものを第三セクター方式で存続させ、新型車両の導入や
最近では高岡市出身の故・藤子・F・不二雄にちなんだドラえもん電車などで
集客努力を行っている。
1303万葉線.jpg1303万葉線1.jpg
運行は15分刻み、時刻表を事前確認せずに利用できるギリギリの間隔。
到着した車両は残念ながら新型車両じゃなかったが、
地元出身の落語家立川志の輔氏による車内放送が楽しめた。






 今回は大阪からの移動時間を除くと半日ほどの日程だったけど、
射水線廃線跡、海王丸、万葉線と中々面白い旅になったと思う。

富山へは、北陸新幹線が金沢まで開通すると大阪からのアクセスが悪くなるので
今後は疎遠になるだろう。

それまでに何とかもう一度ぐらいは足を運びたい。



  • 最終更新:2015-12-12 02:08:00

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